6. 各駅の風景(1/2)

 ここからは美祢線代行バスの発着した各駅の様子を紹介する。
 美祢線の運休中、列車の運行の無くなった中間駅でも、駅舎前までの代行バスの乗り入れの有無にかかわらず、全て駅施設は解放された状態であった。駅員の居る美祢駅では改札口を閉じる形でホームへの通行が規制されていたが、その他の駅ではホームを含めて立ち入ることができる状態であった。本稿ではそうした駅構内の様子も交えて取り上げることとする。

1) 厚狭駅

 美祢線の起点である厚狭駅には、あの水害からの復興を願う横断幕が掲げられていた。代行バスは駅舎のすぐ前から発着しており、赤い三角コーンで停車位置が示されていた。

 厚狭駅構内にはそこここに美祢線代行バスに関するサインが貼られており、列車の到着時には代行バスの発車時間を告げ乗客を駅前に誘導していた。

 美祢線の発着する1番線の線路は赤錆びており、進路の開通を示す信号機も黒いビニールで覆われていた。

 厚狭駅を出て旧国道をアンダーパスした先には長門鉄道部との境界が置かれているが、ちょうどその位置に枕木を束ねた車止めが置かれていた。

2) 湯ノ峠駅

 湯ノ峠駅は厚狭川に沿った小集落の北端に位置しており、西側の山が川に落ち込む間のわずかな平地に設けられている。その関係で駅前広場はごく狭く、進入路もコミュニティバス路線上とはいえごく狭い。そうした事情からか、代行バスの停留所は駅からは川を隔てた国道上に設けられている。国道上はごく少ないながら路線バスの運行もあるが、当地は素通りしてしまうため、仮設の停留所が設けられている。

3) 厚保駅

 厚狭川に沿って遡る美祢線だが、道路網の面からはここ厚保駅付近から県道31号に寄り添うことになる。大雨災害では道路側にも大きな被害をもたらしており、ちょうど厚保駅の向かいで大規模な土砂崩落があり、県道が長期間にわたり通行止めとなったため、県道側では長らく厚狭方面への代行輸送が行えない状態となっていた。
 代行バスは県道から川を渡って駅前まで乗り入れてくる。駅舎の横には復旧工事の現場事務所が設けられており、作業員が代行バスを乗り降りする姿も見られた。

4) 四郎ヶ原駅

 四郎ヶ原駅と周囲の集落は県道からは川を渡った対岸に位置しており、路線バスは県道を直行するのに対して、代行バスは集落の中の細道を抜けて駅舎前まで入ってくる。駅舎前まで乗り入れる路線で進入・進出路が異なるのは美祢とここだけである。

5) 南大嶺駅

 南大嶺駅は大嶺支線の起点であったが、かつての発着線の跡は埋められてホームが広げられており、その面影には乏しい。
 県道を走る路線バスは道路上に停留所を置くが、代行バスは駅前広場まで乗り入れていた。また、美祢と大嶺方面を結ぶコミュニティバス「あんもないと号」も経路上にある駅前広場に停留所を置いている。

6) 美祢駅

 美祢市の中心駅。美祢線の中間駅では唯一駅員が配置されており、みどりの窓口も設置されている。
 代行バスの運行上も一つの拠点となっており、発着時には駅員が集札や発車合図を行っていた他、中国JRバス便では運転士の交代もここで行われていた。
 かつてJRバス秋吉線が美祢駅から四方に路線を延ばしており、駅舎前のJRバスのりばも広いものが設けられていたため、それが今回代行バスの運行に活用された形となった。

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余談:大嶺支線跡の現在

 美祢線には先述の通り南大嶺〜大嶺間の支線が存在していたが、1997年に廃止となっている。

 現況を示すが、大嶺駅跡は県道の拡幅用地等々として利用されており、駅跡を示すような遺構等は既に見ることはできなくなっている。唯一そのまま残されたバス停留所名称だけが、ここに駅があったことを物語る。
 南大嶺〜大嶺間全体で見ると、全体で線路は撤去され、県道の拡幅等で使用されて跡形のないところも多いものの、当時の道床や橋梁が残った状態であるところも散見された。

 なお、大嶺地区の現在の足としては、近年子会社移管やコミュニティバスへの移行等変化が見られたものの、南大嶺経由で美祢まで結ぶ「あんもないと号」と美祢まで直行するブルーライン交通の路線バスを合わせて休日でも10往復程度が確保されている。

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last updated at 2011.09.26
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